カテゴリー「鉄道」の16件の記事

2020年5月 9日 (土)

静かな幕引き JR北海道札沼線

 一昨日JR北海道札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止となりました。開設以来、85年が経っていたそうです。沿線町村としては本来は最終日である、5/6日に「さよなら運転列車」などを組んでもらい、一応のお別れの形を整えたかったのでしょうが、コロナ禍とかでそれもかなわず、4/17日に最終運転をしたまま終わってしまいました。なんとも不運というほかはなかったでしょう。もちろん、通常の最終運転のように1日だけのお祭り騒ぎがあり、あとは火の消えたような有様というのも、むなしさが募るだけですが、こういう寂しいお別れも残念です。
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                            北海道新聞5/8 より
 
 私は札沼線についてはあまり詳しくないのでここで取り立てて述べる立場ではありませんが、ひとこと言わせてもらえば、とにかく時代の波に翻弄さつづけた鉄道路線だったのではないかと思っています。その最後も、コロナにやられるとは、なにかこの路線を象徴するような幕切れだったと言えるかもしれません。しかし逆に考えれば、あれだけ世相に揺り動かされた路線です、せめて「最後だけでも静かに」というのが手向けの言葉になるでしょうか。
 


 昨日は札沼線のとある踏切に行ってみました。
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 手回し良く、侵入防止のバリケードが既にできています。

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 一昨日が廃線の日だったというのに、線路はすっかり錆に覆われていました。おつかれさま、札沼線。長い間多くの人を運んでくれてありがとう。これからゆっくりと休んでください。




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2020年4月 8日 (水)

TT(1/120)レイアウト 国鉄道東本線 ターンテーブルの完成 2

 ニセコ駅のターンテーブルをもう少し近寄って 見てみます。

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 ブリッジ中央の「やぐら」とそれにかかる梯子です。

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 これは逆側からやぐらの上の方を見た写真。足場と手すりがありますね。

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 これは運転室。新得時代の写真と基本、同じですが、細部ではやや違っているようです。

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 そして、これはブリッジを所定の外周線に固定するための施錠装置とそれを動かすハンドレバー。これらは非常に参考にはなりますが、模型の方ではむしろ新得機関区時代の写真に似せたものとしたいと考えています。

 * この調査は2016年に行ったものです。その後、この周辺はもっと整備されていてこのターンテーブルも主として危険防止の観点から少し変えられています。したがって、これらの写真は厳密に現在の姿を伝えているものではありません。




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2020年4月 5日 (日)

TT(1/120)レイアウト 国鉄道東本線 ターンテーブルの完成 1

 コロナウィルスへの対策からこのところレイアウトの運転も控えています。なぜ・・・?いや、これは私の不注意だったのですが、ウィルス消毒用のアルコールが手に入りにくくて、わずかに残ったレール清掃に使っているアルコールをそちらに回さねばならなくなってきそうなのです。ほんとうにマスクといい、アルコールといい、何とかしてもらいたいものです。爆発的感染のいかんは個人の行動に大きくかかっているなどとおっしゃられる方々もいるようですが、これでは感染予防もままならない。  

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 ところでそのレイアウトですが、ほぼ完成した扇形庫までを報告しました。次いで、ターンテーブルです。こちらは完成品を組み込んだだけですから、機能に関して変えるところはありません。ただ、オリジナルがN用なのでTT風にしたり、旧新得機関区のそれに合わせるような外観的な改変が必要です。

 実はむかし新得機関区にあったターンテーブルは現在でもJR北海道ニセコ駅に静態保存されています*。そこで、新得時代の写真とともに現在の姿も参考のために見ておくことにしました。
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 この写真は当ブログでも以前紹介したことがありますが、現在のJR北海道ニセコ駅。最近のこのあたりの発展に合わせてか、なかなか瀟洒なたたずまいです。この駅はかつては狩太(カリブト)駅と言って、どうということもない田舎駅でした。駅から少し離れたところにこの辺では名の知られた温泉湯治場がいくつかあったくらいで。だいたいニセコ連山一帯は、はるか昔からスキー場として有名ではあったけれどそれはあくまで山岳スキー、一般の人が行って楽しむようなゲレンデスキー場ではなかったのです。それが昭和40年近くなっていわゆる「リゾート開発」が始まり、大規模なリフトやロープウェイができて一般スキー場として有名になり、地元もそれにあやかって昭和43年に駅名を狩太からニセコへと変えました。なお現駅舎はニセコ駅としては2代目、昭和63年に改装されたとのことです。昭和63年といえば国鉄が各JR会社に分かれた翌年です。

 さて、今では大変珍しいターンテーブルですが、駅に沿って上り方向(長万部方向)に少し歩くとやがてホームが切れ、かつて本線から分岐していた線路が現れます。
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 背景に見えるのがニセコ駅のホーム、それに沿って走るのは函館本線。手前に向かってくるのは以前は本線に沿っていた線路から分岐していたことがすぐにわかりますね。
 この灰落としのピットの先、すなわち写真背中方向にターンテーブルが姿を現します。
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 上の写真の場所から背中側を見たところ。このターンテーブルの経歴は北海道の鉄道史の中でも大変ドラマチックなものです。元々は前記のように新得機関区で狩勝越え用に使われていました。それだけでもすごいことなのですが、旧狩勝線が廃止になった昭和41年以来その地で眠りについていたこのターンテーブルが平成2年(1990)、あの「復活ニセコ号」が俱知安からニセコへ運転を延伸するに伴い、ここ終点でC623号機を反転させるために新得から移設されたのです。というよりも、これは私の推察ですが、新得にまだC62を乗せられるような大型の転車台(もちろん電動式)が残っていてそれが移設可能だったから、ニセコ号の延伸が実現できたというべきなのかと思います。このようにこの転車台は北海道の鉄道の歴史の中でも特に華やかなスポットを浴びた二つの舞台に登場しているのです。

 ニセコが世界的な観光地として脚光を浴びるのはその先、21世紀以降なので、復活ニセコ号がもう少し持ちこたえていたら、と思うと・・・。

   * ニセコ駅のターンテーブル、今は手動ながら回転させることができるように修復されたとの情報があります。

 

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2019年4月23日 (火)

上 京 その2

 今回帰りは北海道新幹線を利用しました。新幹線にどうしても乗りたいという欲求があったわけでもありませんが、社会勉強、それと以前、模型用品を飛行機で運ぼうとして、とんでもないトラブルに会ったことがあるので、それを避けるためもあって、新幹線という選択をしました。

 東京発10:20の「はやぶさ」です。私は鉄道の中でも新幹線のことはあまり詳しくはなく、車輛もよくわからないのですが、これはいわゆるE5系という電車だそうです。先頭の鼻先が長く、乗車ホームからはうまく写真を撮ることができませんDscf4626

 列車中ごろ、やや先頭寄りに秋田新幹線が連結されています。
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 列車はもちろん定刻発車。車内はほぼ満席。しかし、仙台で半分近くの人が下りてしまい、あとはかなり余裕があります。途中の車窓から見るべきほどのものがあまり無い中、盛岡近くで東北の名峰岩手山がひとり存在感を発揮していました。
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 しかし、このあとはまた特徴のない車窓が続き、やがていつ果てるとも知れぬ青函トンネルの暗闇を抜けて終着「新函館北斗」に着きました。

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 真冬のコート姿の無言の客が目立つ待合室は東京とはガラリと変わっていかにも田舎風の佇まいです。

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 「新函館北斗」駅前。左側のホテルと遠方のマンションらしき建物以外は空き地と駐車場が目立ちます。

 東京からここまで4時間少々、ここで40分強の待ち時間の後、札幌まではさらに3時間半、合計で8時間余の旅になります。運賃は今回は早割を使いましたが、それでも航空券早割の2倍くらい、これでは飛行機との競争は厳しいですね。新幹線は速度が速すぎて手前側の景色はほとんど認識できません。岩手山のように遠くに素晴らしい対象がある場合を除いては車窓からの景色はそれほどでもなく、昔流の列車旅を楽しむという期待はできません。とすると、ますます勝負は飛行機との時間の優劣だけに絞られそうです。赤字経営に悩むJR北海道にとって今のところ年間100億円もの損失を生んでいるこの路線は痛手のはずですが、これが札幌まで延長されることにより、それこそ一発大逆転を100%期待しているようですが、本当に大丈夫なのでしょうか。東京-札幌を4時間半と謳いあげていますが、今回の「はやぶさ」でも函館まで4時間13分。札幌まで直通になったとしてもクリアできるかどうか? もちろん、道民の一人として目論見どおりいくことを願ってはいるのですが。

 

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2019年4月 1日 (月)

3月の最終日

 昨日で3月も終わりましたが、その3月をもって北海道の石炭に関係してきた鉄道路線が同時に二つ消えました。ひとつは釧路の石炭運送列車、そしてもう一つがJR北海道石勝線夕張支線です。私にとってはどちらも思い出のある鉄道ですが、まだ雪のあるこの時期に釧路まで出かけることは叶わず、夕張に行って来ました。実は私、さよなら列車の見学という経験は一度もなく、今回も迷っていましたが、当日の天気もまあまあで、私の所から行きやすいということにも助けられて、一度鉄道路線の最期というものをこの目で見てみることにしました。

 昼近く夕張駅に着きました。驚いたことに普段は無駄に広いとしか思えない周辺の駐車場が大混雑です。線路の周りは人だらけ。この駅には何回も来たことがありますがこんなことはもちろん初めて。
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 なんと、報道関係者専用席も用意されています。
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 私が目指したのは最終列車ではなく昼頃の臨時列車。しばらくして列車の到着です。普段は単行ですが今日は3両編成。
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 いままでこの駅で見たこともないような多くの人が乗っているようです。駅のホーム(向こう側)は普段は列車に乗車するしないにかかわらず自由に出入りできますが、今日はしっかりと改札をしているようで、無用の人は立ち入ることはできません。


 列車の後部(出発の際は先頭)の方に行ってみます。
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 先頭から見てみると
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 やはりすごい、人、ひと、人。しばらくのざわめきと人々の交錯のあと、列車の出発が近づきました。この列車は12:07に夕張着で、出発は12:20.わずかな時間しかありません。またもやびっくりしたのは駅員が長蛇の列に並んでいた乗客を導いてホーム上を列車に向かって一列に進ませているのですが、その歩いている人の隊列が何分経っても途切れません。あんなに大勢の人が3両の列車に乗りきれるのかと心配になるほどの乗客数でした。

 そうこうするうちに列車は出発。さよ~なら 夕張駅。
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 これが正真正銘、私が夕張駅で見る最後の列車になるでしょう。雪にうずもれかけた車止めと小さな駅舎が後に残ります。
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 駅の傍には弁当の屋台が出ています。ちょうど昼時なので、これまで列車に夢中だった人たちがその屋台にどっと押し寄せます。ここにも長蛇の列が出来ます。
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 昼の列車でこのありさまです。夕方7時過ぎの最終列車ではどのくらいの人が集まり、どれほどの熱気に包まれるのか。いつも閑散としたこの駅を見慣れている私にとってはやや複雑な気持ちです。しかしこの賑わいから考えても夕張線が人気のある、あるいは多くの人にとって無視のできない路線であったことは間違いありません。

 経営の苦しいJRにとって夕張線がお荷物だったことは良く分かります。経営改善の一環として切り捨てざるを得なかったのでしょう。一方の夕張側も鉄道に代わるもっと合理的と思われる地域交通のあり方を選択したのです。しかし、鉄道の無くなった夕張に残るのはいったい何でしょう。かつての北海道の炭鉱町の中でも夕張が最大の拠点であり文字通り北海道の炭都と言われるにふさわしい町であったことには異論の余地がありません。多くの旧炭鉱町が炭鉱という産業遺産を観光に生かそうともがいていますが、その中にあって実際に残っている遺産の内容、知名度、実績など夕張の右に出るものはありません。しかし、その炭鉱と密接に結びついていた、いや、炭鉱活動の一部であったとさえいえる鉄道を手放したことは自らの遺産の価値を大きく下げることになりはせぬかという懸念が残ります。



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2019年2月13日 (水)

釧路の石炭列車 ~3

 知人(シレト*)の貯炭場、その全景です。
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 左側に線路が見えますが手前、この写真の背中側が先ほど行ってきた春採り方面、すなわち鉄道基地のあるところ。手前の方から前方の高架のところまで貨車を牽いて行って、そこで貨車から地上に石炭を落としてそこにいったんためておきます。その先はすぐ港なので、停泊している船まで石炭を運んで(おそらくダンプカーにより)遠方まで船舶輸送するのでしょう。

 

     *知人は地元でもシレトとシリト、二つの呼び方があるようです。

 港の方へ行ってみます。
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 港側から石炭落とし場を見たところ。前の写真の逆側から見ています。


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 石炭を落とす高架の先端です。ここの上まで石炭貨物車がやってきて下に石炭を落とします。近寄って見るとかなりの高さがあります。こういった光景がまだ北海道に残っていたとは、恥ずかしながら釧路に来るまで知りませんでした。

 

 

 貯炭場で少し時間をつぶしての帰り道、海岸近くの踏切で走行する運炭列車に偶然出会いました。突然踏切の警報が鳴りだしたので、写真を撮る準備をする時間など全く無く、踏切を渡っていく車両をあわてて撮るのがやっとで、とても長い列車の全体像を捉えることが出来なかったのは残念です。
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 この鉄道独特の関節式台車を持つ石炭車。これだけでも撮れて良かったです。

 

 しかし、新聞報道によると早ければ来月(3月)にも運休し、そのまま廃止と言うことになりそうなので、夕張線よりもむしろこちらが早く姿を消しそうです。これで、北海道の鉄道名物がまた一つ消えることになってしまいました。



 

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2019年2月11日 (月)

釧路の石炭列車 ~2

 釧路での冬のある日、友人数人と連れ立って運炭鉄道基地のある春採に行ってみました。このころ、運炭列車は週に数回、それも不定期運行ということになっていたので、走行している列車の写真撮影を期待していたわけではありませんが、行ってみると何台かのデイーゼル機関車が車庫から外に出ており、構内は思ったより賑やかな雰囲気です。

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 国鉄の試作機DD41風のデイーゼル機関車。

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 こちらはDD11を思い起こさせるロッド式のD型機ですね。
 

 長い石炭貨車を連結して待機している機関車もありひょっとすると今日は運行するかもしれない、などという期待を持たせてくれますが、やはり不定期運転。時間は分からないとのことでした。
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 どれも個性的な機関車達です。しばらくこれらの写真を撮った後、走行する写真はあきらめて私たちはこの鉄道の終点である知人(シレト)の石炭貯蔵場へ向かいました。

 

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2019年2月10日 (日)

釧路の石炭列車 ~1

一昨日は日中から気温が上がらず、私の街では最高気温がー11度以下、その寒さは日を跨いでも続き、昨日の朝の最低気温は-23度にまで下がりました。日本一寒い町*と言われる陸別では-31.8度を記録したそうです。関東でも雪とのことですから、今年は今が寒さのピークなのでしょう。今朝も我が街の最低気温は-20℃を下回りました。

 何を基準に寒さを判断するかによって「どこが一番寒いか」は違ってきます。 

 

さて先週は寒さのほかに、私にとって小事とは言えないニュースが入って来ました。
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 ここ毎年のようにJR北海道の路線廃止が進んでいく中、こんどは道東の運炭列車までが廃止になるのでしょうか。

 

私には、現在も現役で走っているこの石炭列車には思い出があります。

 

私は道東の育ちですが、釧路出身ではありません。しかし、私が育った帯広と隣町の釧路は戦後、ともに競って大きくなってきた町で、しかも釧路の人口は常に帯広の1.52倍くらいで推移していました。そんなこともあり、私は子供のころからたまに釧路に遊びに出かけて行った記憶があります。こぎれいで明るいがやや表面的にも見える帯広に比べると、釧路はやや暗いが、何か重厚感があり、建物などどれをとっても一回り大きく、より大都市の風格がありました。釧路と帯広の、町としての大きさや位置付けがほぼ同格になったのはおそらく前の世紀の最後の頃、釧路の3大産業と言われた漁業、製紙、石炭が振るわなくなってからでしょう。

実は釧路に衰えが見え始めた今世紀の始めに私はこの町にしばらく居たことがあります。社会人になってからも、仕事で釧路を訪れることはしばしばありましたが、釧路に住むまで私はこの町に今もまだ炭鉱が存続しているとは考えていませんでした。しかし、釧路に移って直ぐに訪れたある役所の入り口でつぎのような広報誌を目にしてびっくりしました。
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なんと、表紙の写真は地元の湖の畔を長編成の石炭貨車を牽いた列車が走っている光景です。うーん、釧路にはまだ「運炭列車」が走っているのだろうか。となると当然、その石炭を掘っている大規模な炭鉱があることになる。はて・・、釧路を代表する太平洋炭鉱は少し前に閉山したはずだったが?

確かに太平洋炭礦㈱は2002130日をもって採炭を止め、歴史のある炭鉱は閉山と言うことになりました。そのことはメデイアでも連日取り上げられたので北海道では話題になったものです。したがって、北海道でもほとんどの人が釧路から炭鉱は消えてしまったと思いこんでいるのです。
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しかし、地元では有志の出資になる新会社「釧路コールマイン」がそのあとを引継ぎ、従来通りの坑内掘りを国内で唯一続けてきたのでした。


 釧路炭田は埋蔵量は石狩、筑豊には及ばず、国内では第
3位ですが、そこの炭鉱が上位2つを差し置いてなぜ最後まで残り、そして今も採炭を続けていられるのか? 調べたところによると、大規模な機械化採炭がこの炭鉱に限って可能だったからです。

日本には石炭の埋蔵があるとは言ってもすべての炭山に於いて炭層が薄く、その厚さはせいぜい1m内外、また国土が形作られて以来、止むことなく襲ってきた度重なる地殻変動によりどこの炭山でも炭層は複雑に曲がっているのが常で、とてもそのような薄く曲がりくねった炭層で大規模な機械化など出来るはずがありません。ところが釧路の場合、特に太平洋の底に伸びている海底炭層は断層が極めて少なく、わずかな傾斜があるとはいえ平らで、しかも厚みも十分にあり(1~3mといわれている)外国製の大きな機械を使った効率的な採炭が出来るのです。

 

 
 

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2018年12月21日 (金)

止まらぬJR路線の廃止

 夕張線に続きJR札沼線の北海道医療大学駅以遠の廃止が決まりました。北海道JRと沿線4町が昨日(12/20)、正式に覚書を取り交わしたのですからこれで決定ということになります。夕張線廃止のほぼ1年先、20205月廃線だそうです。

正直言いますと私はこの路線には個人的にはそれほど思い入れはありません。昔々、確か私が学生の頃、「政治路線」の代表格としてこの札沼線の話を聞いた記憶があります。札幌発の路線なのに利用した記憶もさだかではありません。しかし、沿線では廃線に反対していたのですから、一部の人にとってはかけがえのない交通機関だったはずです。ともかく、これによりJRは沿線4町に総額18億円以上の支援金を支払うことになったそうです。その中には鉄道廃止に伴う代替交通機関の整備費用などがもちろん含まれますが、廃線後のまちづくりのための3億なにがしかのお金まで含まれるというのですから、これらの町がいまさら反対する理由は全くありません。夕張線の廃止が決定した時、他の赤字線沿線自治体もすぐにでもこれに追随するだろうと思いましたが本当に当たってしまいました。

 この次はどの線になるか・・。思い当たる路線は枚挙にいとまがありません。

もちろん、今のJR北海道の状況を見ているととても全線維持など出来るわけがなく、ある程度の整理・合理化はやむを得ないと思いますが、それにしても北海道の端、いわゆる国境と言う場所までの鉄道がなくなってしまったとしたら、何ともさびしいことです。


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 国境の街 稚内に今も残る北防波堤ドーム。戦前は稚内駅から稚内桟橋駅まで線路が伸びており、C55牽引の列車でここまで来た旅客達はここから稚泊連絡船で一路樺太の大泊まで旅立ったのです。


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 かつて稚内まで乗客を運んだC55をしのぶスポーク動輪。

 JR北海道は今新幹線の札幌延伸にかけているのでしょうが、新幹線が本当にJR北海道を起死回生させる切り札になってくれるのかどうか。今のところ函館までの新幹線はかえってJRの赤字を増やしているのですから。

 






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2018年11月27日 (火)

JR石勝線夕張駅 

 今週は先週に比べて暖かいスタートのようです。昨月曜日には、我が街の辺りは積った雪も車道ではほとんど消えていました。吹く風にはやや冷たさを感じましたが、晴天。 そうだ、夕張に行ってみよう! 夕張には今年3月にも行っており、そのことは既にこのブログにもアップしましたが、来年3月いっぱいで夕張支線は廃止、しかも3月の夕張はおそらくまだ雪が深く、下手をすると私などは行く機会を逃してしまうかも・・。と、思い立って出かけてきました。

1時間弱のドライブで12時少し前に夕張駅着、もちろん3月に来た時の佇まいはまだ変わっていません。
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駅の時刻表を見ると、次の列車は出発が1238分、着は1220分頃とのこと。それまで駅の軽食レストランで昼食を摂っているうちに単行気動車のご到着です。
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もう残された日々も少ないせいか、思ったより人(おそらくほとんど鉄チャン)が乗っています。レストランのおばさんの話では昨日(日曜日)は2両編成で結構人が乗ってきたとのことです。いつもこれくらい人が乗ってくれれば廃線にならずに済んだのにと思いながら、自家用車で来た自分を恥じています。
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 車両はご存じ、キハ40です。


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 束の間の停車の間、多くの人々が写真撮りに熱中、私もその中の一人ですが。


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 10分少々の停車時間で列車はそそくさと発車。さようなら夕張駅・・・。


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 無人のプラットホームとただ1本の線路が残るのみ。4月以降もこれらは残るのかもしれないけれど、私にとってはこれが夕張駅での列車の見納めになるかもしれません。

 

それにしてもこの写真でも分かりますが、この季節だと言うのにさすが夕張は雪が深い。この厳しい気候と、谷合いの狭い土地。ここで石炭以外の産業を興すのはたやすいことではないことが容易に想像できます。夕張市には市の中心を本町付近から清水沢の方へ移すという動きがあるとも聞いたような気がするので、この付近はますます淋しくなるかもしれません。せめて、鉄路廃止後もこの駅舎と線路くらいは残してもらいたいものです。

 




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